コロコロコラム第34話『藤子不二雄とカスタムチャリとクリームソーダと加山雄三と横浜銀蝿』後編@


さて、この続きモノもいよいよ最終章になるわけだが早速前回の続きからはいります。
小学生レベルでは太刀打ち出来ない力が見えた話だよね…
オレがインベーダーハウスなるモノに普通に出入り出来る様になったのは確か小学校高学年かもしかしたら中学生になってからだったかも知れないがその辺の記憶は曖昧だ。
その頃には既にインベーダーゲームは下火になり次世代のゲーム、ギャラクシアンやムーン何とかというゲームが流行っていた。
オレもパックマンやドンキーゴングなんかまではゲーセンや駄菓子屋等でやっていたが、その後はスーパーマリオなどの家庭用ゲームに流れて行く…
その後はオレはまったくゲームはやっていない。
まぁゲームの流れの話はさておき、ゲーセン(インベーダーハウス)は小学生が世の中の縮図を学ぶ最初の場所になる訳だ。
中学生、高校生、大学生から大人までいるインベーダーハウスには暗黙の掟の様な危うさと混沌が入り混じったなんとも言えないカオスな雰囲気があった…
オレはその訳のわからない雰囲気に「コレは世の中の悪に違いない」と勝手に決めつけ全員魔太郎が来るに出て来る不良学生やダメな大人だと思いこんだ。
自分がインチキ野球部を作り近所のガキから金を巻き上げてたコトは四百万段くらい棚に上げて、そいつらを忌み嫌うと同時に憧れにも近い様な感情が込み上げてきた。
あの時職員室で先生に言われた不良がもつようなもの… ホントにそうなのだろうか?オレはクリームソーダのマークは好きだが不良に憧れていた訳ではなかった。
実際クリームソーダの店員さん達に小学校のおれがあのインベーダーハウスで感じた「悪」の要素は微塵も感じなかった…
気さくな優しいお兄さんみたいな感じだった。
その頃まだブラックキャッツは誕生していなかった時代の話だ。
オレはあのドクロのマークだけが好きでハッキリ言って他のコトはどうでもよかった。
だから小物やキーホルダー、靴下以外はなにも欲しくなかったラバーソールやフィフティーズファッションなどカッコイイとも思わなかった。
オレは小さい頃から一貫して大袈裟に言えばこの歳まで(48歳)ハマっているものがある、それはアニメのヒーローや特撮ヒーローなのだ!
特に好きだったのが変身モノ!(デビルマンはまた別次元の話)
仮面ライダーやそれに付随する普段は平凡な生活をしている青年がヒーローに変身する感じのヤツに目がない。
そして肝心なのが普段は正体を隠しているという設定が非常に大事な部分なのだ。
オレは何故だか知らないがその設定に強烈なエロチズムを感じる!
コレは後にダックテールズの横山剣が「ステージは派手に!生活は地味に。これがオレのモットーね!」と言った様な世界観に何となく似ている感覚だ。
だから正体を隠すというオレにとってのエロチスム感覚は非常に自分を興奮させる!
事実小学校3〜4年くらいからまわりの奴らはテレビの歌謡番組とかに興味を持ち出しキャンディーズとかピンクレディーとか騒いでる時でもオレはアニメヒーローの主題歌コウロギ73とかささきいさおとかを聞いていた。(しかし親が言うには山本リンダがTVに出てる時だけはTVにかじりついていたそうな)歌謡界になどまったく興味がなかった… あの日が来るまでは。
ある日オレはアニメの中でも変身モノではないが大好きな手塚治虫の「ブラックジャック」が加山雄三主演で実写版でやるというコマーシャルが流れた。

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そしてなんと!この実写版のストーリーは原作のストーリーを大幅に着色してオレの大好きな変身モノに変えて放映してたのだ!
しかしながらこの作品は変身モノの癖にターゲットは大人というトンデモ作品なのである。(天知茂主演の江戸川乱歩シリーズ的狙いをしたのかも知れない)
なぜかというと放映されるのは木曜日の10時。
10時と言えばちびっ子はもう鼻提灯をともしている時間だ、俺はと言えば8時には寝る良い子だった。
いや、しいて言うならオレの興味のある正義のヒーロー番組は8時以降は皆無だった。
しかしながら加山雄三のブラックジャックは10時から…
何とか9時までは起きていられたとしても10時はちびっ子にとっては深夜も同然なのである。(ちびっ子と言ってももう小6)
9時まで何とか時間を潰して眠い目をこすりながら加山雄三のチャンネルに合わせて待っていたが、そこで9時からやっていた番組が「ザ・ベストテン」

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時は既に1980年…
小学生6年の夏の終わりの頃。
オレはとにかく10時まで起きてようと毎週やっているそのくだらない歌番組を加山の為に我慢してみていた。
しかし、その歌番組は今の歌番組と違い毎週順位を競いあっている番組なので毎週見ていると次第に来週はだれが1位なのかとか気になりだすようになってきた。
そんなある日、あの日はやってきた。
久米宏が歯切れ良い声で「今週のスポットライト!」というベストテンには入ってないが最近注目されてるバンドを紹介するコーナーだ。
久米宏は続けざまに言った。
「横浜銀蝿の皆さんです!」
オレはその名前のインパクトにまず「何じゃそりゃ❓」と思った次の瞬間、鏡の扉から出てきた光景は今でも忘れられない…
オレは一瞬デパートの屋上でやっているヒーローショーのショッカーが出てきたのかと思い目が釘付けになった…
しかしこの光景はヒーローショーの悪役達でも遊園地のアトラクションでもましてや地方のゆるキャラ(当時ゆるキャラは無い)でもなく、本人達はマジメに久米や黒柳の質問に答えていた。
そして全員黒いサングラスで素顔を隠していた。
そう、もうお分りだろう!オレはそこに特撮ヒーロー達と同じエロチスムを感じたのだ。
そしてその全員蝿の様なコスチュームをしたオジさん達は楽器を持ち何やら歌うというよりも叫び始めた。
そして「ロックンロール!」と同じ言葉を短い歌の中で最後まで言い続けた。
そのサウンドはけしてうまいとは言えないサウンドだという事もコウロギ73やささきいさおの歌唱力をずっと聞いてきたオレにはあきらかに解った。
しかしそんなコトはどうでもよかった…
とにかくこの得体の知れないヤツらの事をすべて知りたいと本能的に思った。
まぁその後のコトは書くまでも無いだろう。
とにかくあの80年代前半のツッパリブームとは何だったのか!横浜銀蝿とは何だったのか!
あの12歳の時受けた衝撃を未だオレは隠れ銀蝿研究家として日夜研究に励んでる。
今年49歳になる子供の頃のヒーローは特撮ヒーローと横浜銀蝿なのだ。
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次回最終章は銀蝿だけにスポットを当てて書いてみたいと思います。
ではまた。

コロコロコラム第33話「藤子不二雄とカスタムチャリとクリームソーダと加山雄三と横浜銀蝿 中編A」


皆様、お久しぶりでござい!
只今、地元茨城の阿見って街にあるアウトレットのフードコートでコロコロ制作中!
今回は続きモノのコラムだから、書き始めるのにいったん前回のコラムを読んでから書く訳だけれどもだいぶ日にちがたってしまうと前回書いてたテンションと今はもう違っていたり、もうこの「お題」について書くのも飽きてたりするわけよ。
だから実は前にも続きモノやって途中なっちゃってる話とかもある訳。
チキチキ物語とかもそうなんだよねー
でも…今回は次も楽しみとか言っくれた人がいるから何とか同じテンションを思い出して書くね。
俺が登校拒否児だけど野球の上手いヤツのアニキの部屋に逃げ込んだトコまでだったよね…
オレはホントにアタマをフル回転させたよこれ以上無いってくらいにね!
でもね灯台下暗しって言ったもんだね!
なぜ今までこんな簡単な方法に気づかなかったんだろう!って思ったよ。
実は俺、その1~2ヶ月前に盲腸の手術をした訳…
最初近所のヤブが誤診しやがって「タダの腹痛だからちゃんとお腹を温めて寝るように」って言われたもんだから、親はカイロやら湯タンポやらを持って来てガンガン布団の中を温める。
しかし、待てど暮らせど症状は良くならない…
終いにはあぶら汗が滲み出て立って歩く事も出来なくなっちゃって、さすがに親もコレはおかしいって事でもう一度同じヤブのトコに言ってちゃんと見てくれと頼んだら、検査して返って来た答えは…
「何でこんなになるまでほっといた!」だって。
あの頃はいくらヤブでも医者と言ったら神様みたいな風潮があったからしょうがないのかも…
けっきょく腹の中で盲腸が腐っちまったのよ。
温っためたりなんかしたもんだから!
おかげでメスで切った腹の傷口は膿んでしまってるから中々ふさがらず、毎日通院してパックリ開いた傷口を消毒して傷口が自然に塞がるのを待っていた訳。
話を戻すと、オレはコレだ‼️と思ったね! 作戦が完了するとオレは玄関先に待たせている、ヤンチャボーズ達のところに一目散に降りて言って開口一番にこう言ってやったよ!
「オメーらタイマン張ってやっからコッチの条件1つだけ聞いてくれ! それ約束出来んなら今日タイマンで勝負つけようじゃねぇか!」
そしたら相手が「条件って何だよ?」なんて絵に書いたようなシナリオの答えが返って来たから、オレはめいっぱいワルぶった演技でこう返したんだ。
「この前チンピラとケンカして腹刺されちまったから、まだその傷口がふさがってないんだよ。だから腹の攻撃は無しって事にしてくれんならやってやるよ!」
ってパックリ開いた傷口を相手に見せながら言った訳。
一瞬、
あきらかに相手がビビった顔したのが解ったよ。
なんせオレの演技力と言ったら自分でもビックリするくらいスマートなもんだったからね〜😏
よく考えれば何で小学生がチンピラにドスで刺される状況になるんだよ! 笑っちゃうくらいのチクラップ(←嘘の意。当時ウチらの周りの小学生言葉)なんだけど、ソレをホントの様に思わせるオレの空気感があったんだろうね👍
とにかく相手は
「今日はもういいよ…」なんて言いながらそそくさ退散してったよ。
これで暫くはオレらの公園は守られた訳だ。
めでたし!めでたし!って訳にはいかず、一難去ってまた一難…
遂にガキどもの親達に100円月謝がバレた!!
親はもちろん学校の職員室から呼び出されてこっぴどく叱られる訳だ。
そん時に先生達がオレに目を付けたのが服装ね。
ほらオレは例によって前にも書いた様に、Leeのジーンズのケツにはクリソ(CREAM SODA)財布
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靴下からもドクロのワンポイント、チャンピオンの紺のジャージにオニツカタイガーのスニーカーだ。
アディダスの紺のウインドブレーカー等も好んで着ていた。
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さすがにチャンピオンやオニツカのスポーツ有名ブランドには文句が言える訳もなかったが、クリームソーダ!
コレに目を付けられてしまい、「そんなドクロのマークが入った不良が付けるようなものを身につけたりしてるから人から金を巻き上げる(野球部の月謝の事)ような人間になっちゃうんだよ! 」と言ってクリームソーダの財布は取り上げられ、こっぴどく絞られた挙句校内放送で「クリームソーダというブランドの服や小物等を身につけ学校に登校しないように!」と、クリームソーダ禁止条令まで出されてしまった…
そして、元々野球などどうでもよかった俺は野球部を解散して(と言うより自然消滅だったかなぁ…)例の改造チャリでプラプラしていつもの駄菓子屋に入り浸っては、今度はインベーダーゲームにハマって行く…
インベーダーゲームは70年代に大爆発ブームを巻き起こしたテーブル式インベーダーゲームの事、テーブル式ではない物もあったが俺の行きつけの駄菓子屋にはテーブル式インベーダーだったから今でもそっちの方に愛着がある。
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俺の行きつけの駄菓子屋は、俺の家から半径1キロ以内に2件あった、ひとつは駄菓子だけを置いてる店、もうひとつは駄菓子の種類は少ないが店の端に鉄板テーブルが置いてあり、そこで焼そばやお好みが焼ける駄菓子だった。もちろんその値段も小学生価格!焼そば、お好み共に50円から出してくれるのだ!焼そばの他にお好みは2種類しかなく、オボロと生姜のみ。オボロは甘いピンク色の粉みたいなものをキャベツと粉に混ぜるだけ、生姜も同じ。
まぁ、この頃の思い出が今の俺の店『昭和鉄板焼チキチキ屋』というネーミングにインスパイアされていると思うね。
話をインベーダーに戻すと、その行きつけの駄菓子屋2件ともテーブル式インベーダーゲームが置いてあった訳。
このインベーダーブームはとどまる所をしらず社会現象になった! 噂によるとあまりのブームに100円玉が足らなくなり、急遽国が100円玉の製造を増やしたという都市伝説まである。
各地にインベーダーハウスなるインベーダーゲームしか置いてない今でいうゲーセンの始まりみたいなものができ始める。
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遂にウチらの近所にもインベーダーハウスができ、俺は常日頃駄菓子屋で鳴らした腕を見せたくてウズウズしていた。
しかしながら、インベーダーブームというのは社会現象を起こしただけあって中学生や高校生はもちろんのこと大学生だってやっていたちょっと前にあったポケモンブーム的、大人から子供まで誰しもが、の走りだったと言っても過言では無いような気がする社会現象であった。
だからインベーダーハウスには駄菓子屋にはいない様な不良がウジャウジャ溜まっているわけだ、(駄菓子屋というのは駄菓子屋のオバチャンの秩序により我々小学生は輩から守られている)
なので、我々小学生はインベーダーハウスに行きたくとも金を巻き上げられたり、している仲間を見てなかなか中には恐くて入れなかった…
ここで俺は初めて小学生レベルのハッタリでは太刀打ち出来ない何か強大なモノを意識し始める…
そう、ソレはあの藤子不二雄の「魔太郎が来る‼︎」で出てきていた俺からすれば漫画の中だけで描かれていた悪の中学生像(不良)と被った訳だ。
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そして俺は現実に存在する不良という存在に初めて恐れと怒りを感じる事になるのだ。
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つづく…

Vol.32話 『藤子不二雄とカスタムチャリとクリームソーダと加山雄三と横浜銀蝿 中編』

コロコロコラム第32話『藤子不二雄とカスタムチャリとクリームソーダと加山雄三と横浜銀蝿』中編
まいど! 前回に引き続きの話になるが、オレはとにかく独自の世界観にナゼだか自信があった。
野球部を作ったのは、小学校低学年の頃町内の野球部に入っていたから何となく人を集めるなら野球かなぁ…?
なんていう単純な発想だよね。
しかしながらこの野球部という親や先生からには聞こえのいい健全な響きが、オレの中の悪を増大させた…。
オレは監督という位置に君臨し、試合などは出ず、たまに練習の時にノックとかをやって鬱憤を晴らすだけだった。
オレは登校拒否児だが野球がうまいヤツに技術的な事や試合の時とかを全て任せ、オレはあーでもねーこーでもねーとブツブツ言ってるだけだった。
そしてその登校拒否児だが野球の上手い奴の親にも感謝されたし、その他のチビ達の親からも「いつも遊んでくれてありがとう!」的な近所の面倒見いいイイお兄さんイメージだった。
しかし、その裏の実態は何人いたかは覚えてないが、常時5〜6人いたガキどもから毎月1人\100チームの月謝と称してそいつらの小遣いを巻き上げ、オレはインベーダーゲームが置いてある駄菓子屋でインベーダーゲームをやりながらうまい棒チーズ味とDr.ペッパーを飲みながら駄菓子ババアをからかって遊んでいた。(月たかが100円と笑うなかれ!これが5~6人になれば、その当時のオレの1週間の小遣いにも及ぶのだ。)
もちろん、登校拒否児だが野球の上手い奴にも多少の分け前を渡して…。
オレは大将気取りで益々デカイ顏をして行った…
そんなある日いつもの公園で野球の練習をしていると3人の他の学校の小学生がイチャモンをつけて来た。
「オメェら誰に断ってこの公園占領してんだよ!あっ〜〜‼️」
小学生にしては図体がデカイ奴らだなぁ…
オレはあきらかにマズイと思った。
しかしココで逃げ出したんでは今まで散々大威張りして来たオレの威厳に関わる…
オレは考えたあげく彼らにこう言い放った…
「よし!じぁあタイマンはってやるからこっちに来いよ!」
とにかくこの場から逃げなくては…
そして近所のガキどもにはこう言った。
「おまえらは、もう家に帰ってろ!今日は解散だ。後はオレに任せたておけ!」
敵の小学生達がこう叫んだ!
「おぃ!早くしろよ❗️オメー オレらに1人で勝てるとでも思ってんのか?」
オレ:「勝てるに決まってんだろ!人目のつかないところでやろう!!」と大ボラを吹いた。
そしてオレはその3人を登校拒否児だが野球の上手い奴の家の門の前に誘い込んだ…
門の前で騒いでれば登校拒否児だが野球の上手い奴の親や兄貴が出て来て仲裁に入ってくれるだろうと考えたからだ。
ところが、あいにくその日に限ってその家はもぬけの殻だった。登校拒否児だが野球の上手い奴は、もともとふだん人前に出ないので自分の影を消すのが非常にうまかった。(オレは心の中で密かにコイツをカゲスターと呼んで賞賛した)
相手も何故だか登校拒否児だが野球の上手い奴の存在は無かったコトにして時間が流れていた。
オレは急遽作戦変更しざるおえなかった…
そしてオレはなんの作戦も思い浮かばず、相手にこう言った
「オメーラ、オレは逃げねーから、ちょっとココでまってろ!」
オレは登校拒否児だが野球の上手い奴の兄貴の部屋にとりあえず逃げ込み、アタマをフル回転させ作戦を練った…
しかし、作戦が浮かぶ事は無かった。
あやうしオレ…
どうするオレ…
次回につづく。

Vol.31話 『藤子不二雄とカスタムチャリとクリームソーダと加山雄三と横浜銀蝿の巻き前編』

オレは小学校6年1980年前半頃まで歌謡曲やポップスとかはほとんど聞いて無くどちらかと言うとTVアニメとマンガ小僧と言うか… 藤子不二雄の世界が大好きだった!(永井豪も好きだったがこの頃はまだ1番ではなかった)そのかわりアニメソングのレコード特に戦隊物のレコードをそんな年になってもよく聞いていた。
この「コロコロコラム」って名前だって当時毎回読んでいた「コロコロコミック」から取ったものだ。 
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『ドラえもん』はもちろん健全な子供の夢的なモノの世界もオモロかったが、やはりドラえもんが爆発的ヒットで子供たちにその「藤子不二雄」の名前を不動のモノにする以前に小学校低学年の頃…
やっと親と一緒ではなく1人で近所の床屋さんに行って待ち時間にその床屋さんの棚で見つけた運命のダークコミックマンガが『魔太郎が来る!』だった。 

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この漫画が後の俺の人生に大きな影響を与えた事は間違いない!
初めオレはそのマンガを棚から取る時作者の欄に藤子不二雄と書いてあったから、ドラえもん的な健全な子供の気持ちでページをめくり始めた…
しかしながらそこに書いてあった内容は同じドラえもんを描いた作者とは到底思えない小学校低学年のオレにはあまりにもショッキングな内容だった…
なにか人間の裏側に潜む普段の生活ではあまり出しては行けない様な感情が赤裸々に描かれていた。
まぁもちろん後になって解るんだが藤子不二雄とは2人の作者をひとまとめにして藤子不二雄というらしく我々世代では「バロム1」「ウルトラマンA」的だがこの2人は現実にいるのだ。
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そしてそのブラック的作品の方が『藤子不二雄A』本名「安孫子素雄さん」だった。
オレはその藤子不二雄Aが描く世界観にのめり込んで行く… 特に何故か怪奇ものが好きだったオレは魔太郎が来る!キャラクターの中に出てくる怪奇やのオヤジが非常に好きで、「オレも大人になったらこんな店のマスターになりたい!」なんて本気で考えてたもんだ。
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その怪奇やのマスターが持って来るは話やモノが、オカルトや怪奇が大好きなオレには堪らんかったのよ!
まぁソレもソレで楽しみにだったが、もうひとつ魔太郎の親戚の叔父さんとかが持ってくる変わったお見上げとか同級生の宝自慢とかフランケンシュタインを愛する男とか…
まぁいろいろグッズが出てくるわけさ。
その中でも1番「オレも欲し〜い!」って思ったのが、チャリンコマニアの先輩が学校に乗ってくるカスタムチャリンコ!ね!
確か… アレは小4だったかなぁ?
デコチャリブームが下火になりかけた頃かなぁ?
もちろんオレはデコチャリ(もちろんデコチャリなんて言葉は当時なかったが)も親にせがみにせがみまくって最高級のフラッシャー付きを買って貰ってはいたが…
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当時の小学生チャリンコのブームの流行り廃りは凄まじく、スグにフラッシャー付きデコチャリはダサいとされ次にはスーパーカーライト付き自転車や、まるで自動車に付いてる様なギヤなどを付けもっと外装はシンプルなモノに変わって言った…
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しかし、オレはこの流れが納得できなかった!
「どう考えてもスーパーカーライトなんかよりオレのフラッシャー付き自転車の方がカッコイイだろ!」っと思っていたが小学生の流行り廃りの敏感さは超フルスピードで変わって言った…
そしてオレはその流行りの流れに乗るのを辞めた。
「こんな苦労してせがみ倒して買って貰ったチャリンコがこんなにスグに注目されなくなるんだったら、頭に来た!もうブームに乗るんじゃなくオレがブームを作り出してやる!」
その頃ちょうどウチの目の前にスズキのバイク屋さんがあった。そこに働いてるお兄さんとよくバイクを見せて貰ったり話したりしてたんで、新しく出るバイクのカタログとかも置いてあった。
その中にそこはスズキにもかかわらず何故だかYAMAHAのしかもYAMAHAが作ったチャリンコのカタログがあった!
オレはそれを見た瞬間脳に電撃が走ったね!
「コレだ‼️」
オレがホントに乗りたかったモノはコレだったんだ!
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それがこの『モトバイク』
何が気に入ったかってチャリンコなのにサスペンションが付いてる!それに何よりもこのルックス‼️
しかも誰ともカブらない!
周りのヤツらがスーパーカーライトや自動車型ギアとかの流行りに流されてる時にオレはこのモトバイクをまたも親に泣き付いて買ってもらい更にそのモトバイクに東京から取り寄せたチョッパー型ハンドルやシーシーバーまでつけて魔太郎の世界に出て来たチャリンコマニアの先輩のチャリンコよりも断然カッコよかった!
そしてシーシーバーの後ろにドクロのマークのステッカーをを貼ってイキって町中を流した!
その誰のマネでもない独自性は快感そのものだった!
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当時こんな感じで乗っていた。
その少し後になってからもう中学生になっていた先輩にある黒い財布を見せて貰ったその財布には赤くマークが付いていてその中のデザインはオレの大好きなドクロマークだった…!
しかもそのドクロに似つかわしくないクリームソーダとなんとも可愛らしい名前が付いていた。
オレはその財布に一目惚れした。
そして情報収集をして解った事がどうやら東京にある原宿という町にある洋服屋さんにしかこの財布は売ってないというコトが解った…。
それが解ったオレはまたもや母親に今度は原宿に連れて行けとせがんだ!
俺と小4の弟と3人で右も左も解らぬままとにかく「原宿のクリームソーダという店を探すんだ!」という事しか解らず、いざ!原宿へ。
駅を降りたらビックリまったくの別世界…。
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たぶん記憶は薄いが行くとしたら日曜日だと思うんでホコ天だったんだろう…。
凄い人混みの中からオレは何となく目星をつけリーゼントスタイルの人を指差し母親に「あの人に聞いてみて」と言った。
そのお兄さんは見かけとは裏腹に優しく店まで案内してくれた。
オレはこの時、人は姿形じゃないんだってコトを学んだ…
店の中に入ると例のドクロのマークが入った商品がたくさんあった。
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オレは小学生だったんであまりクリームソーダの服や靴には興味がなくとにかくあの財布が欲しかった!
お目当の財布は商品ケースの中にありしかも数種類の色のバージョンがあった。
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でもやっぱり黒が1番カッコよかった!
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財布、キーホルダー、靴下、ワッペン… 小学生らしくグッズばっかりを買って貰った… もちろん弟も。
オレはさっそく当時ウチら小学生の間で流行っていたちょっと悪っぽいファッションとされていた「Lee」のストレートジーンズにチャンピオンの紺色のウインドブレーカーにアシックスのスニーカーに買って貰ったばっかりのクリームソーダの財布をケツにさしキーホルダーをジャラつかせ靴下までクリームソーダで決めて学校に通っていた。
そして学校から帰ってからは例のチョッパーチャリで街を巡回してまわった!
オレは更に調子にのり何かオレがリーダーのグループを作ろうと思った… 
で、思いついたのが野球チームだ。
オレは野球はできたが下手だったんで、近所に住んでた登校拒否児だけど野球が上手いヤツがいたんでそいつを引っ張り出してコーチに就任させオレは監督という位置で、近所の我々よりも更にガキを数人集め家から30メートルくらいのところにある児童公園をオレたち◯◯野球部の拠点にした…
オレは更に自分独自の世界を広げようと遂に悪知恵を働かせだす…
次回へつづく…




Maceo! Blow your horn?‼️の巻【第30話】


先日ビルボード東京で行われた《Maceo Parker》のLIVEを見に行ってきた。
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まぁオレはこのコロコロコラムでは、バンドマンでありながらあまり音楽やミュージシャンの事については書かないが、(実を言うとこの出筆方は全盛期の横浜銀蠅の影響を受けている。彼らの本はミュージシャンでありながら内容は人間の生き方や男のケジメのつけ方とかそんな事しか書いてない(笑)のだ。)メイシオがいなかったらオレはサックスを吹いていなかっただろうと言うくらい思い入れのあるミュージシャン… いや、あえてここは(hornkar)と呼ぼう!
なので、たまには音楽の事をオレなりの解釈で書いてみよう。
メイシオ・パーカーのサックスの種類はアルトサックスだが、ここにオレの24年のサックス人生のカギがあるので聞いて欲しい。
ずーっとまえにも書いた事があるかもしれないが、オレがサックスを始めた歳が23歳の時…
21〜2歳から歌を始め、その頃はロカビリーオンリーだったね!だからもちろん憧れたスタイルはブライアンセッツァーみたいなギターボーカル!
しかし、ブライアンと同じグレッチの6120と言う楽器をダチから貸して貰い鏡の前に立った時に、
「コレは何かが違う… オレはギターの人間ではなさそうだ。」って直感した…
ってか、ただたんにその姿が似合わなかった…
しかももう22歳くらいになると周りには上手いヤツがゴロゴロ…
「コレは今からギターを始めても追いつけねぇな。」って思って。
それでも何か目立つ楽器をやりたくて考えたのがサックスだった。当時ジャズやクラシックには花形楽器だったがロック界ではまだまだ花形楽器はやっぱりギター。だからサックスなら目立つ上にライバルもあんまりいないから、イケるだろう!と思った。
最初日本のヤナギサワと言うメーカーの物を買うが、サックスは最低ランクでもオレには意外に高い楽器だった…
でも楽器屋さんで試奏させて貰ったらなんと音が出たのだ。
その時オレは「この楽器とは長い付き合いになるかもしれない…」って思った様な記憶がある。
音が出た事に喜んだオレは早速その楽器を買い練習を始めたはいいが、いかんせん右も左も解らない状態だし、周りに管楽器の仲間なんて1人もいない…
そしてサックスは移調楽器、オレが‘ド,の音を出しても周りは違う音なのだ…
普通のドレミもあまり理解してないのに、移動ドってなんだ? その時点でスッカリやる気は無くなったが、せっかく買った楽器なんだからと当時付き合っていた彼女が小さい頃オルガンをやっていたから譜面は少しだったら解るから一緒に頑張ろう!って応援してくれた。そう言う意味ではメイシオがいなかったらと言うより、最初のオレのサックスのファンであり彼女の助けが無かったらオレはサックスを吹いて無かったのかもしれない…
当時オレは楽器を買ったイコールステージに立つ事だったんで、とりあえず彼女にナゼだか忘れたがミとシの押さえ方だけ教わりその時やっていたバンドのLIVEに持って行き突然吹いた! 
そしたら
意外にウケた!!(不思議なものでサックスと言う楽器はある程度のリズム感さえあればテキトーに吹いてもなんとなく吹けてる様に聞こえるのだ)
っと言っても当時オレがやってるバンドの世界なんてやるヤツも聞くヤツもすべてがトーシローの世界。 ただ皆んなサックスって楽器が今ほど日本のロック界ではメジャーじゃ無かったんで珍しかっただけなのだ。
しかしオレはウケたんで気を良くしてサックスの事をいろいろ調べ始めた。
そしてあるとんでもない間違いを起こした事に気づく。
オレがサックスで吹きたい音をイメージしていたのは、アルトサックスではなくテナーサックスだったのだ!そうオレが購入したのはアルトだった…
オレの出したかった音は例えばリトルリチャードのバックで鳴っている様な音を出したかった。
正確に言うとリー・アレンの音だ!
アルトサックスではああゆうグロール的な音はなかなか難しいのだ…
しかしもう今更テナーに変更は出来ない!
(ちなみにテナーサックスは値段もさもっと高い)
どうしたらイイもんかと思ったところに、知り合ったばかりの一緒にバンドやってたファンクずきなベースのヤツがオレにこう言った…
「コマッチ君サックス吹くんならメイシオ聞かなきゃダメでしょ‼️」
オレは❓❓❓
誰それ?
「やっぱファンクって言ったらJBやスライでしょ!」
❓❓❓
こいつの言ってるコトは別世界の様な話だった。
「まぁとにかくメイシオのCD貸すから聞いてよ、こういうふうに吹いて欲しいのよ!」
で、聞いてみた…
まず最初に思ったのはファンクという音楽のジャンルの良さははっきり言ってよくわからなかったけど、1つだけ気に入った点があった! アルトサックスでも野蛮な音は出せる‼️と確信した事!(そうメイシオはアルト奏者だったのだ)
それがメイシオとの出会いだった!
この時思った事が、アルトでテナーの様な音を出すヤツがいるんだよ!と言われる様になる!その為に練習するときは、いつもテナーサックスをイメージした!
おかげでその4年後、Minor Drag(YouTubeあり)というバンドをやった時にいろんなヤツから楽器の種類やセッティングを聞かれた。
「アルトの音じゃないですよねー?」とか「その太い音をアルトからどうやってだすの?」とかね…
その度にオレは生意気にもこう返してたね!
「楽器やセッティングじゃなくて人間の方のセッティングがそういう音にさせるのよ!」
まるでエーチャン気取り(笑)
(でもね〜 コレは半分事実でもあるのよ!)
メイシオの音やフレーズは唯一無二の存在だった!
決して音数は多くないのに、リズム的表現力がスゴイ!こういう吹き方をする人は他にいないね…
リズムというのはこんなにも大事なんだなぁ〜って思ったね!
オレは今回メイシオを見るのは約20年ぶりくらいなんだけど、70を過ぎたメイシオを見たら何故だかわからないが泣く音楽でもないのに涙が出てきた。
そして後でわかった事だが、60年代の頃はメイシオはテナーを吹いていた事が判明、その頃のアルバムも手に入れ、オレも今はテナーとソプラノの持ち替えなんで、その頃の音を他のバンドで今カバーしている。一生をかけてでもあの音、リズムに近づきたいね!