平成最後のコロコロコラム 『ドラムス担当シンジとショーケンの巻』

みなさ〜んお元気ですか〜?
そうです。30年前、昭和から平成に代わる時に自粛されたニッサン・セフィーロの宣伝CMの中での井上陽水さんのセリフです。
昭和天皇が崩御された時、私はちょうど20歳だったので、初めから自粛後まで意味わからん車のCMだなぁ… っと思った記憶があり何故かよく覚えてます。(自粛後セリフがカットされ陽水が車のウインドーを開けて口パクする姿は車のCMとは思えない怪奇なモノでした)
そしてキーワードは「くうねるあそぶ」
当時の浮かれきった日本を象徴する様なこのセリフ。 私的にはコッチのふざけた言葉を自粛した方がいいんじゃない?って思ったりもしました。(因みに私は今流行りの「いんじゃね!」って言うのを文には使わない事に決めています。理由は単純に文体的見映えがダサ過ぎるからです。でもしゃべる言葉では使います。というどうでもいい情報でした)
ちょうど20歳の頃の私がチラチラっとだけ映っている画像を発見しましたので載せておきます。(この頃はバンドマンでも何でもなく、ジェームスさんが何者なのかもよく分からず無邪気にツイストしている。エドワードジャケに黒縁伊達メガネが私)
さて、あれから30年。また時代が変わろうとしています。そして私もちょうど50歳になりました。
このコロコロコラムは約10年前ファンキーチキンズ10周年(第2期スタート)くらいの時から書き始めたので文体も考えてる事も読み返すとだいぶ違って来てるような気がしますが基本に私の中にある何かは変わってない様に思います。(ちなみにコロコロコラムの前身とも言える【俺様日記】は書いてる事がちとヤバすぎたので全て削除しました)っていうか人間そうやすやすと脳の病気にでもならない限り変わらないと思います。
そして第3期ファンキーチキンズは新しい時代『令和』からスタートするべくリハや曲作りは我々のペースでやっています。今年はファンキーチキンズ結成から20年目にあたる年でもあるのでいろんな意味で楽しみでもあります! あと個人的な事を言わさせてもらうと、私の鉄板焼のお店『昭和鉄板焼 チキチキ屋』も今年で10周年になります。10周年記念パーティーLiveは遂に自分のバンド『ファンキーチキンズ』でやりたいと思っておりますので皆様宜しくお願い致します!(今までのチキチキ屋周年記念パーティーLive模様YouTubeあり)
平成10年10月10日に30歳になった男より。
オッと!なんかこれで終わりっぽくなっちゃってる感じですが、本題はこれからです!
さて、平成の巻引きにあたり昭和のスター達が続々と旅立って行く中で、前回も書きましたが内田裕也さんに引き続き今度は「ショーケン」こと萩原健一が旅立たれました。
御冥福をお祈りします。
私個人的にはショーケンさんとはなんの縁もゆかりもないんですが、ウチのドラムスのシンジこと渡辺慎二が、な、なんとショーケンさんのバックをやっていたという奇妙な繋がりが浮上したので、この事を少し触れて平成最後のコロコロコラムの幕とさせて頂きたいと思います。
今回コロコロを書くにあたり私自身ショーケンさんの事を殆ど何も知らないと言う事に気付きましたので事前にシンジにインタビューしてきました!
まぁ電話を通じてのインタビューだったのですが、インタビューの内容というのは、今こうやってシンジから聞いた事をメモした紙を見ると、出会ったキッカケはとか、自分に音楽的にどうプラスになったとか、なんかここで書くまでもなくありきたりなモノだったのでやはり書くのを辞めようかとも思ったのですがファン・チキ的には大事な歴史の1ページだしせっかくインタビュー受けてくれたシンジにも失礼なのでやはり載せておくとしようと思います。
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とまぁこの様なメモ(写真)によるインタビューをしたわけですが、そして私的にはこのインタビューの中で1番重要だと思った事はシンジが『ショーケンの引越しを手伝った』という節にある。スターが引越しを頼む相手というの私の中でバンドのバックメンバーを誘う以上にシビアになると思うからだ、なんせ生活の匂いを相手に全てさらけ出すという事だからハッキリ言って業者に依頼した方が後腐れがないワケだし下手な気を使わなくても済む、なのにバンドメンバーに手伝って貰うというのは自分を曝け出した上で一緒に音楽をやろうとしていた訳か… それともシンジが特別にかわいがられていたのか、いや、そんな私如き凡人が考えることには及ばない様な人なのだろう。
(2017 ラストダンスビルボードというLive映像がフジテレビネクストで生放送された)
まぁ何はともあれ日本の大スターのバックをやっていたという財産は誰にも盗めない貴重なモノだ。
インタビュー中シンジはこんな事を言っていた、
「ショーケンさんとやって、もう何でも来いって気になったよね」
そうだ!令和のファンチキは「何でも来い!」なのだ!それが『親父のロマン』だ!
みんな楽しみにしててくれ!!
そして平成ファンキーチキンズお疲れ様!
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コロコロコラム第37話 『シェケナベイベー!の巻


20代後半の頃渋谷のとあるパーティーに連れと2人招かれたのだが、あまりにもオレらには場違いな空気だったので帰ろうと出口に差し掛かったところで我々の目の前にその人は現れた…
その人:「どした?」
オレら:「座る席も無いようなのでそろそろおいとましようかなと思って…」
その人:「座るトコねーなら立ってりゃいいじゃねーか?」
そしてもう一度パーティールームに戻された。
我々は廊下に立たされた小学生の様に突っ立っていた…
後にも先にもその人と言葉を交わしたのはそれっきりだった。あの時は訳も解らずやたらとムカついて隙を見て逃げた記憶があったが、今思うとアレはその人なりの優しさではなかったのだろうかと連日のニュースを見てると思えてくる…
(だって本当にどうでもいいガキだったら声すらかけて貰えないだろう。)
それから数年後、また何かの御縁をいただきその人の毎年恒例のロックンロールイベント「ニューイヤーロックフィスティバル」に安岡力也さん、クールスのサポートミュージシャンとして2年連続で出させて頂いた。
当時はそれほど思わなかったが、これまた連日のニュースを見てると貴重なイベントに出させて頂いてたのだなぁ… と思えてくる。
内田裕也さん、あちらでも力也さんとまたやらかして下さい「これがホントのダンス天国!だぜ!」なんて言って。生前は貴重な体験をありがとうございました!ロックンロール❗️
2019年3月20日現在。ご冥福をお祈りします。


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第36話 第2期ファンキーチキンズ終了にあたっての挨拶の巻

今回はコラムと言うよりも皆さんへのファンキーチキンズからのお知らせです。ですので文章的には何ひとつオモロくも無く毒も無いので悪しからず… 
2018年5月6日つい先月、突然だが第2期ファンキーチキンズのLAST LIVEを千葉ANGAというLIVE HOUSEでおこなった。(と言っても我々がメインのイベントではないが)
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この第2期ファンキーチキンズの終了はよくあるメンバー内の不一致とか音楽性の違いとかそういう事ではない、ある意味旅立ちの終了だ。
バンド結成から19年、第2期ファンキーチキンズ再始動から9年、再始動初期からファン・チキを支えてくれたSAX 担当の〔エメロン みのり〕ことミノリがこの度、旦那さんの実家広島に行く事になり、
やむなくの脱退の末に出したオレの決断である。
と、いってもファンキーチキンズ全体の解散ではないオレの中のひとつの区切りなのだ。
結成当初のファンキーチキンズは横山剣リスペクトバンドとしてケンさんのカバーからスタートして、
まぁこの第1期ではファンキーチキンズとしては4回くらいしかLIVEはやってないかな…
この時もやはりテナーサックスはエックと言う女の子が担当していた、そのサックスを一緒に選んであげたのは何を隠そうこのオレである!(エヘン!)←ちょっとイバって。
ミノリはそのサックスを譲り受けての加入であった。
いわばあのテナーサックスは第1期、第2期ファンキーチキンズのすべてを見てきたまさに『チキンサックス』なのだ!
そしてバンドは今では、ほぼオリジナル曲で活動できるようになった。
そんなの別にたいした事じゃないじゃん!と思うなかれ、我々にとっては凄く喜ばしくめでたいことなのだ!
なぜかと言うと剣さんの素晴らしい楽曲と並んでLIVEでオリジナルをやるとどうしてもクオリティーの差が出てしまう。
でも最後の頃は開き直ってやってたら、お客さんの中にカバーよりオリジナルの方がイイね👍
言ってくれる人もチラホラ現れて来ていた。
コレは最高の褒め言葉だよー
そして、気がつきゃLIVEメニューを作る時ケンさんの曲やR&Bのカバーは入るスキがあまり無くなって来ていたのだ。
そして、第2期ファンキーチキンズの幕締めはすべてオリジナルでも最高のライブになった!
そしてサックスのミノの素晴らしいラストになった。
なんと言っても前回のコラムに書いた萩中音楽祭第1回目優勝バンドというのはミノリにとっても最後にいい思い出になったと思う、だからバンドのメンバーみんなで決めてトロフィーは彼女に広島に持って行って貰う事にした。
個人的な事を言えば、ミノリとオレは杉並区の高円寺にあったP.T.OというBarで出会ってから今年で(2018年現在)17年の酒呑み仲間でもある
ヤツの事は18歳からずーっと見てきた、これからもオレの脇でイカしたブロウをずーっとするものだと思っていた。
でも、ヤツは決めたのだ! 矢沢の生まれた街へ行くと…
だから出来るだけ最後のライブはファンチキメンバー を含めいつも応援してくれたガメさん、荻中商店街音楽祭のアヤちゃん達の協力を得て華やかにしてもらった。
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たぶん世の中の無数にあるバンドの中で規模や有名無名はどうあれ、ああいうバンドの去り方を出来るヤツってホントに少ないと思う。
広島に行っても素敵な仲間が彼女の元には集まって来るだろう。
そしてオトコマエなチキンサックスを9年間ありがとう!
第3期ファンキーチキンズもミノリがいないとつまんないなって言われないよういいバンドを作っていきたいと思います。
皆様これからもファンキーチキンズを宜しくお願い致します!
ファンキーチキンズ リーダー Micro 小松崎

コロコロコラム第35話 人生を語るには(薔薇の木に薔薇の花咲く)の巻


みんなご無沙汰!元気⁉️
前回のコロコロで次回は横浜銀蠅の事だけを取り上げてやろうみたいな事書いてたんでそれに関連するいいネタが今年(2018年)になって偶然出来たんで予定どうりそんな感じで行ってみよ〜う!(←いかりやっぽく読んで)
今年に入り我々をいつも応援してくれているガメラさんから「コンテストに出てみない?」みたいなLINEが来た。 我々は最初あまり乗り気ではなかったが…
まぁその話はとりあえず置いといて、結論から言うと、何と!そのコンテストで我々ファンチキは優勝しちまったのである! 
まさか50歳を前にしてそんな仕掛けがこのバンドに残されていたとは思いもよらなかった。(続けて来て良かった!)
エッ!?まったく銀蠅と関係ねー話じゃないか!って❓
まぁ最後まで聞いてよ、オレ個人的には賞を貰うよりも感動… いや、因果というものを感じたのは、そのコンテストの審査員長が、横浜銀蝿の翔君だったって事!
文字通り 賞 より 翔 に心が動いたわけだ。
ね!銀蠅ね話にここで繋がったでしょう?
なので、コンテストの話よりも前回の予定通り銀蠅の話から先にするね! 先ずは小~中学くらいの話から。
まぁ前回の続きにはなるけど、小6〜中3にかけて銀蠅のレコードはほぼ全部持ってたね!シングル、LPどっちともね!
銀蠅一家になるとちょっと後期の頃は誰が誰だかあまりわからないけど、とにかく銀蠅だけは飽きずに聞いていた。
銀蠅のやり方は頭が良くてLPを買ってもシングルの曲は聞けない仕組みになってたんだ…
だからどうしてもどっちも欲しくなる訳!
で、オレが1番感動っていうかカッコイイ!って思ったのが、(そして今ではうまいなぁって思うけど)LPのタイトルがマニアル車のクルマのギアになってるのね、だから「ぶっちぎり」「ぶっちぎり セカンド」「仏恥義理 蹉蛙怒」「ぶっちぎり とっぷ」…
みたいに続いて行くんだけどじっさい車のギアだったんだって気づくのは「ぶっちぎり とっぷ」くらいから…
なんかそうなると普通クルマにギアって5速しかないから5速の名前はオーバートップ!じぁない?、
って言うことは…
もうそろそろ銀蠅って終わりなの❓って途中から薄っすら知ってはいたけど、、、 なんか妙に寂しかった記憶があるなぁ… それにしても最初から解散を念頭において動き出したバンドも珍しいと思う。
それもただ解散するっていうんではなく3つの目標を達成してから解散するという事を公言しながらやっていたんだよねー
ちなみに3つの目標はこんな感じ
・シングルレコード1位
・LPレコード1位
・武道館満タン
コレを2年でやり遂げるなんてデッカい事言って始まったんだ、、、
でもなんと!2年でホントにLP 1位、武道館満タンはやり遂げたんだけど、シングルレコード1位は遂に2年で出来なかったんだ、、、
だから、彼らは話あってもう 1年やる事にしたらしい…
オレ的には解散が伸びて嬉しかったけどね!
まぁもちろんこういうビックマウス的発言は矢沢永吉の影響が大きいんだろうけど、オレにはキャロルやクールスはひと世代上の先輩達が聞いてたバンドでオレが中学の時とかはもうヤンキー全盛期だったんで、(特に茨城は)先輩からクールスのカセットテープが回って来てもいまいちピンと来なかったなぁ、、、
(ちなみにキャロルに関しては20歳になるまで聞いた事も無かった。)
クールスはルックスにしても、どこか洗練され過ぎてて外国のバンドみたいに感じた。(じっさいジェームスさんは外人顔 だしね(笑))
それに匂い的にもアンダーグランドのヤバイ奴みたいな感じでよくわからないなぁ…
なんてのが正直な気持ちだね。
その点銀蠅は分かりやすくしかも当時のドラマとかにツッパリ物はブームだった金八先生2 、積み木崩し、大映ドラマなどにうまくリンクしたんだよね。
なめ猫やつっぱり君なんてキャラクターも大ヒット!それに銀蠅はそんなにヤバさが無い!曲はコミカライズされたロックンロールだから小学生のオレでも凄くとっつきやすい!(もちろん後にクールスにもコミカルな曲はある事は知るが。)大ヒットしたツッパリハイスクールロックンロールなどは、日本人の心の中にある俳句みたいな歌詞の構成で覚えやすい!なんと言ってもあのお揃いのコスチュームにサングラスで素顔を絶対見せない姿は、特撮モノ戦隊モノ好きなオレにはガチンとハマった!
だからどっちかっていうと不良っぽさとか悪いっていうイメージはなく「正義の味方」みたいにみえてたんだよね。
実際彼らは非行少年少女らに「ホントの意味でのツッパリとは」的な宗教エッセンスを盛り込み更には自分らのコンサートを「It's Only rock 'n' roll集会」と題し、お客さんの悩みや不満を聞いて一緒に意見を言い合ったりする「対話集会」なるものをやっている事によりそれまでロックンロールスターはステージの上の口もきけない憧れの人からファンと一緒に作って行こうぜ的な浸しみやすい近所のアニキ的なイメージ戦略に成功している、このやり方は後々AKB みたいな会えて話や握手も出来るアイドルみたいに真似されていく。
そして銀蠅のお客さんは、そんな対話集会とかで宗教的に教育されてるから非常にマナーがいい訳だ、実際銀蠅のお客さん達にそんなにワルはいなく、ちょっとワルに憧れる普通の女子中高生が殆どだからもともとちゃんとしてるわけ。対話集会の悩みって言ったって校則がうるさいとか銀蠅のコンサートに行っちゃダメだと親が言うんだけど、どうしたらいいか?みたいなかわいい悩みが殆どでホントにグレてるヤツは銀蠅のコンサートには来ない。
そういう「俺たちこんなカッコしてるけどちゃんとしてるんだぜ!」みたいな売りは、最初は目くじら立ててた親御さん達やPTAをしだいに取り込み手紙で「家の娘が銀蠅さんのおかげで非行から立ち直った」とか「シンナーをやめてまじめに学校に行くようになった」とか…
この不良コスプレでのクリーン戦略は逆説戦法で見事にウケて社会現象にまでなりあげくには当時の総理大臣、中曽根首相の官邸まで呼ばれて教育論を述べている。
それでは飽き足らず今度は「銀蠅一家」なるちょっとテキ屋チックな日本的名前を持って来てファン層にもっと歳の近い島大輔やグリース(杉本哲太)ツッパリアイドルを作り上げ、この若手達にも厳しいトレーニングに耐えて銀蠅一家になったんだ的な社会は厳しいんだぞ!イメージもちゃんと歌詞に盛り込ませ更なる浪花節ツッパリ産業で芸能界での幅を広げて行く。
そしてこのやり方も銀蠅世代で育ったエグザイル達が後に真似している。(ジェイソウルブラザーズやイーガルズなど銀蠅一家のやり方にそっくりだ)
横浜銀蝿という存在はバンドとしては本当に特殊だと思う。
そして日本初!いや、世界初的な事をやっているのがいろんな観点から見てとれる。
まず、ロックンロールバンド名に漢字を持って来た!たぶんこの辺の由縁が後にヤンキー、ツッパリブームが絶滅危惧種になった時に銀蠅はダサい!と言う事になっていったのだろう!
あとは銀蠅書籍関係はほぼ音楽の事は書いて無い。
書いてあるのは生き方やケジメのつけ方といった人生論的な事しか書いてないのだ。
それに面白いのが、銀蠅の写真集!!!
バックの風景以外すべて一緒なのだ。(笑)
俺はそれが1番最高だと思う!
だって俺は銀蠅を特撮ヒーロー的目線で見てたわけだから、例えば仮面ライダーやウルトラマンの写真集が出たとして写真集だからって仮面ライダーはいちいちいろんな服に着替えないよね?
それでも通用しちゃうからヒーローなわけで、写真集でも一貫してあのカッコを変えないっていうのも世界初だと思うよ! ましてやそれすら売れた訳だから(仕掛け人は笑いが止まんないよね!だって衣装代ゼロだもん)
まぁオレの銀蠅分析は書き出したらきりが無いんでこのくらいでやめといて、この辺で最初に話してたファンチキ優勝の話に戻そう。
第1回荻中音楽祭という大田区の商店街のコンテストイベントなんだけど、1月から始まって俺らも33バンドもいるのにその中きら選ばれる訳ねーだろって!って思ってから夕方くらいまでに終わるし、その後にバンドの新年会でもして酒飲んで「いい経験出来たね」くらいで終わろうと思ってた…
1回戦は投票形式なんで知り合いの少ない俺らが通る訳無いと思ったのだ…
しかし、通った!!!何で??
で、2回戦はギターの宇野も来ないしサックスのミノリが体調不良の為、当欠になり急遽曲を変えてやった訳だが…
だから側から見ればナメてるなぁ〜
って見られてもしょうがない状況な訳だ。
しかし、奇跡は2回起こった!なんと!ファイナルステージの3組まで残ったのだ!
まぁ!けっきょくはファイナルも優勝したんだけど俺は何故かファイナルの時より2回戦の方がビックリしたし感動した!
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ファイナルの時はハッキリ言って我々が全員揃って本気で挑んだら負ける訳が無いと思ってたからだ。
しかし2回戦はギター、サックスがいないということはゴレンジャーで言えば青レンジャーミドレンジャーがいないも同然!
それで戦って勝つというのは相当なものだと思ったのだ…
銀蠅の翔さんも優勝の時の俺らに対するコメントは「2回戦の時は、大事な時にメンバーもちゃんと揃ってねーで、お前らナメてんなぁ〜!って思ったけど、今日は審査員満場一致でファンチキだった!」
と言ってくれている!
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そして今回のコンテストをとうして1番嬉しかった翔さんの言葉があるんだ。
それは2回戦の時にメンバーも揃わないし、曲もいつもよりロックンロール寄りのレパートリーに変えて、まぁオレの中ではこれで終わりだからめっいっぱい楽しんじゃおう!と思って歌いかたもMCも翔さんぽい感じでやった訳。
あげく「最後に一言!銀ばるっきゃねー!!!」
なんて言って終わりにしたりね (笑)
あとで帰り側に翔さんがいたんで「翔さんのマネで歌ってたの分かりました❓」
って聞いたら、
ニヤっと笑って
「おう! わかったよ。お前はもっとオレのマネをしろ!」って言ってくれたんだよね!
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ってかマネをしろも何もオレは既に世界で一番…
オッとこれ以上は言えねーな。(笑)
まぁとにかくあの一言がオレにはホント嬉しかった!
何だかんだ文句も言ったけどこの音楽祭出て良かったよ!
ガメさんありがとねー👍
そしてこの音楽祭3ヶ月をとうして知り合った実行委員会のアヤちゃんを始めお世話になったスタッフの方々関係者、楽屋で仲良くしてくれた横浜銅蝿の皆様!
お疲れ様でした!そして今後とも宜しくお願い致します!
ありがとうございました! 
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ファンキーチキンズ ミクロ




コロコロコラム第34話『藤子不二雄とカスタムチャリとクリームソーダと加山雄三と横浜銀蝿』後編@


さて、この続きモノもいよいよ最終章になるわけだが早速前回の続きからはいります。
小学生レベルでは太刀打ち出来ない力が見えた話だよね…
オレがインベーダーハウスなるモノに普通に出入り出来る様になったのは確か小学校高学年かもしかしたら中学生になってからだったかも知れないがその辺の記憶は曖昧だ。
その頃には既にインベーダーゲームは下火になり次世代のゲーム、ギャラクシアンやムーン何とかというゲームが流行っていた。
オレもパックマンやドンキーゴングなんかまではゲーセンや駄菓子屋等でやっていたが、その後はスーパーマリオなどの家庭用ゲームに流れて行く…
その後はオレはまったくゲームはやっていない。
まぁゲームの流れの話はさておき、ゲーセン(インベーダーハウス)は小学生が世の中の縮図を学ぶ最初の場所になる訳だ。
中学生、高校生、大学生から大人までいるインベーダーハウスには暗黙の掟の様な危うさと混沌が入り混じったなんとも言えないカオスな雰囲気があった…
オレはその訳のわからない雰囲気に「コレは世の中の悪に違いない」と勝手に決めつけ全員魔太郎が来るに出て来る不良学生やダメな大人だと思いこんだ。
自分がインチキ野球部を作り近所のガキから金を巻き上げてたコトは四百万段くらい棚に上げて、そいつらを忌み嫌うと同時に憧れにも近い様な感情が込み上げてきた。
あの時職員室で先生に言われた不良がもつようなもの… ホントにそうなのだろうか?オレはクリームソーダのマークは好きだが不良に憧れていた訳ではなかった。
実際クリームソーダの店員さん達に小学校のおれがあのインベーダーハウスで感じた「悪」の要素は微塵も感じなかった…
気さくな優しいお兄さんみたいな感じだった。
その頃まだブラックキャッツは誕生していなかった時代の話だ。
オレはあのドクロのマークだけが好きでハッキリ言って他のコトはどうでもよかった。
だから小物やキーホルダー、靴下以外はなにも欲しくなかったラバーソールやフィフティーズファッションなどカッコイイとも思わなかった。
オレは小さい頃から一貫して大袈裟に言えばこの歳まで(48歳)ハマっているものがある、それはアニメのヒーローや特撮ヒーローなのだ!
特に好きだったのが変身モノ!(デビルマンはまた別次元の話)
仮面ライダーやそれに付随する普段は平凡な生活をしている青年がヒーローに変身する感じのヤツに目がない。
そして肝心なのが普段は正体を隠しているという設定が非常に大事な部分なのだ。
オレは何故だか知らないがその設定に強烈なエロチズムを感じる!
コレは後にダックテールズの横山剣が「ステージは派手に!生活は地味に。これがオレのモットーね!」と言った様な世界観に何となく似ている感覚だ。
だから正体を隠すというオレにとってのエロチスム感覚は非常に自分を興奮させる!
事実小学校3〜4年くらいからまわりの奴らはテレビの歌謡番組とかに興味を持ち出しキャンディーズとかピンクレディーとか騒いでる時でもオレはアニメヒーローの主題歌コウロギ73とかささきいさおとかを聞いていた。(しかし親が言うには山本リンダがTVに出てる時だけはTVにかじりついていたそうな)歌謡界になどまったく興味がなかった… あの日が来るまでは。
ある日オレはアニメの中でも変身モノではないが大好きな手塚治虫の「ブラックジャック」が加山雄三主演で実写版でやるというコマーシャルが流れた。

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そしてなんと!この実写版のストーリーは原作のストーリーを大幅に着色してオレの大好きな変身モノに変えて放映してたのだ!
しかしながらこの作品は変身モノの癖にターゲットは大人というトンデモ作品なのである。(天知茂主演の江戸川乱歩シリーズ的狙いをしたのかも知れない)
なぜかというと放映されるのは木曜日の10時。
10時と言えばちびっ子はもう鼻提灯をともしている時間だ、俺はと言えば8時には寝る良い子だった。
いや、しいて言うならオレの興味のある正義のヒーロー番組は8時以降は皆無だった。
しかしながら加山雄三のブラックジャックは10時から…
何とか9時までは起きていられたとしても10時はちびっ子にとっては深夜も同然なのである。(ちびっ子と言ってももう小6)
9時まで何とか時間を潰して眠い目をこすりながら加山雄三のチャンネルに合わせて待っていたが、そこで9時からやっていた番組が「ザ・ベストテン」

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時は既に1980年…
小学生6年の夏の終わりの頃。
オレはとにかく10時まで起きてようと毎週やっているそのくだらない歌番組を加山の為に我慢してみていた。
しかし、その歌番組は今の歌番組と違い毎週順位を競いあっている番組なので毎週見ていると次第に来週はだれが1位なのかとか気になりだすようになってきた。
そんなある日、あの日はやってきた。
久米宏が歯切れ良い声で「今週のスポットライト!」というベストテンには入ってないが最近注目されてるバンドを紹介するコーナーだ。
久米宏は続けざまに言った。
「横浜銀蝿の皆さんです!」
オレはその名前のインパクトにまず「何じゃそりゃ❓」と思った次の瞬間、鏡の扉から出てきた光景は今でも忘れられない…
オレは一瞬デパートの屋上でやっているヒーローショーのショッカーが出てきたのかと思い目が釘付けになった…
しかしこの光景はヒーローショーの悪役達でも遊園地のアトラクションでもましてや地方のゆるキャラ(当時ゆるキャラは無い)でもなく、本人達はマジメに久米や黒柳の質問に答えていた。
そして全員黒いサングラスで素顔を隠していた。
そう、もうお分りだろう!オレはそこに特撮ヒーロー達と同じエロチスムを感じたのだ。
そしてその全員蝿の様なコスチュームをしたオジさん達は楽器を持ち何やら歌うというよりも叫び始めた。
そして「ロックンロール!」と同じ言葉を短い歌の中で最後まで言い続けた。
そのサウンドはけしてうまいとは言えないサウンドだという事もコウロギ73やささきいさおの歌唱力をずっと聞いてきたオレにはあきらかに解った。
しかしそんなコトはどうでもよかった…
とにかくこの得体の知れないヤツらの事をすべて知りたいと本能的に思った。
まぁその後のコトは書くまでも無いだろう。
とにかくあの80年代前半のツッパリブームとは何だったのか!横浜銀蝿とは何だったのか!
あの12歳の時受けた衝撃を未だオレは隠れ銀蝿研究家として日夜研究に励んでる。
今年49歳になる子供の頃のヒーローは特撮ヒーローと横浜銀蝿なのだ。
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次回最終章は銀蝿だけにスポットを当てて書いてみたいと思います。
ではまた。